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ひっそりこそり

小2で不登校→別室登校→情緒学級→別室登校→定時制高校→国立大学合格に至るまで

Twitterのトレンド欄に「不登校の親」というのがあって覗いてみた。そこにはいろんな事情で不登校になってる子どもの親たちのツイートが並んでいた。

 

それに触発されて、「そういえば、私も小2から中3まで不登校やってたな〜。エピソードを書いてお焚きあげするか〜」と思ったので、ここにエピソードを書いていくことにする。

ここでは、どうやって不登校の時期に勉強してたのか、定時制高校生に通学するようになってからはどうやって勉強して大学に合格したのかとか、受験体験記憶テイストのものを書いていきたい。ので、書く。

 

私のあらすじとしては、小学2年生から不登校で別室登校→中学生1〜2年生のときは情緒学級→3年生から別室登校→定時制高校昼間部登校→国立大学合格、である。

どこの大学に合格したのか具体的に書くと野暮だなーと思うので、指定国立大学のどこかであるということだけ述べておく。文系か理系かでいうと、数学が苦手な理系だ。

 

 

【小学生の時】

市立の小学校に通っていた。2年生のときに不登校になったことは覚えている。なんとなく行きたくなーい!とかやってたらいつの間にか不登校になっていた。

 

教室不登校だったけど、別室登校はやっていた。ことばの教室という名前だった。そこでその教室の先生に教わって勉強したり、所属していたクラスでテストがあったらテストをもらってきてその教室で受けたりしていた。

 

あと、高学年あたりから進研ゼミをはじめた。勉強自体はそれなりにやれてたと思う。楽しかったかどうかは覚えてない。

というか、小学生の時の記憶はすべてもう曖昧すぎてほとんど覚えておらず、わすかな特徴的なエピソードを覚えてるだけだ。

 

一応受験体験記なので振り返って感想を言うと、算数はしっかりやっておいたほうがよかった。比とか割合とか少数の割り算が曖昧で大学受験のときかなり苦労することになったので……。

 

 

【中学生の時】

そのまま市立の中学校に進学した。中学入学初手で情緒学級に通うことになった。小学生の時不登校だったためか、親がいろいろ手配してくれたのだろう。たぶん。

 

情緒学級では先生が個別に来てくれて授業のようなものを受けていた。けど、一教科につき週一で一時限の授業だったので普通に登校してる生徒よりは授業を受ける回数は少なかったと思う。たぶん。教室に登校して授業受けたことがないのでそのへん具体的には知らん。

3年から別室登校(チャレンジルームという名前だった)になってからはそれは無くなった。別室登校してても相変わらず年間30日以上は学校を休んでいた。

 

この時期は、進研ゼミで自主的にやっていた勉強が効果があったと思う。進研ゼミで勉強してた部分をクラスではまだ授業してなくて、私は先に学んでいてフフン♪などと思うこともあった。

あと、英語と数学の塾に通いはじめた。本格的なそれ専門の会社がやってる塾じゃなくて個人が家で塾をやっているような場所だった。

そこの先生とは相性が良くて勉強は楽しかった。特に英語は楽しくて勉強が進んで理解もしていって、シリウスとかいう教材の発展編とかいうやつをやっていた記憶がある。

 

ここで、進研ゼミと塾で学ぶ楽しさを覚えたのが人生のターニングポイントだったなと今にして思う。それがなかったら勉強を楽しめないタイプになってたかもしれない。

 

中学校での定期テストは、毎回別室で先生に監督されて受けていた。採点もされて、テストの点数と学内での順位が書いてある紙をあとで手渡されていた。

順位が、勉強するほど上がっていくのが楽しく感じられて、普段の勉強の他にテスト前はテスト前の予定を立てて勉強をしていた記憶がある。

定期テストは、最終的に中学3年のときは学年の中で2位にまで上ることができた。英語のテストでは100点を取ったことも一回あった。

 

3年のときの三者面談では、担任の先生に「このテストの成績なら県内トップの公立進学校に通えるんですけどね……」と言われた。言われたけど、通知表がすべて1だったため合格はできないであろうという話になって、定時制高校の昼間部を受験することになった。ついでに実力試しに私立も受験することになった。

受験の結果としては、定時制高校は合格、私立は補欠合格だった。やはり、高校受験というものは通知表の成績というものがかなり重視されるらしい。トホホ……。

 

この頃からなぜか数学が苦手になってきた。それまでは8割以上の点数を取っていたのに、図形の証明あたりからよくわからんなくなり5〜6割くらいしか点数が取れなくなっていた。その他の教科は8割くらいコンスタントに取っていたのに。

なんというか、問題を解くための手段が増えてきてわけわかんなくなって、答えを見ると「その発想は無かった!」というような状態になっていった。なんでだろ。同じような人がいたらコメントなどで教えてください。

 

 

【高校生の時】

単位制の定時制高校昼間部に通うことになった。入学式のときに答辞を述べる役割になったのだが、あれってもしかして私が入学者の中で一番成績がよかったからなのだろうか?今となってはわからない。

 

この頃の心境の変化はあんまり覚えていないのだけれど、なぜか知らんけど高校生になったら普通にほぼ毎日行けて単位も落とさなかった。

おそらく、この頃から大学に進学して勉強や研究をしたいという気持ちがかなりあったので、高卒という大学受験に必須なものを取得するために3年間通っているという妥協があったのだろう。

 

学校は明らかに素行の悪い生徒がいたり、入学してすぐの頃にロッカーに鍵をかけ忘れた生徒が教科書をすべて盗まれていたりして治安が悪かった。

けど、素行の悪い生徒は一学期の夏休みのあとにほとんど退学してしまい、最終的にオタクと、学校に通えるヤンキーに二分されていた。

 

授業は進度がかなり遅く、教科書の半分も進まなかった授業がほとんどであった。

 

授業の時間は一時限につき45分で、火曜日は通信制の生徒が来るので授業が午前中だけで終わったのでかなり楽であり、心理的な負荷が少なかった。

しかも学校が他の高校より早く終わるので帰宅の電車で座れなくてつらいということがなかった。このことがありがたかった。

これらの要素のおかげで帰ったあとにも勉強する体力が残っていたのだと思う。

 

もともと学校の授業には期待してなかったので、大学受験という目標のために1年生のときから自分で勉強していた。

2chの受験板でオススメの参考書を調べてそれを毎月の小遣いで買っていた。

この時、2chがなければ私は何をしていいのかすらわからずにかなり困っていた状態になっていただろう。

5chのことはあんまし良く思ってないけれど、あのときあの2chのあのスレたちには感謝したいと思う。

 

2年生までは、勉強していた時間は覚えてないが、ほとんど毎日、何かしらの参考書で独学で勉強をしていた。

それ+中学生の時にお世話になっていた先生が別の場所で個人の塾をはじめていたのでそこに通っていた。英語と数学をやっていた。

 

3年生になりたての頃に、はじめて模試を受けたりセンター試験の赤本を買って過去問を解いたりしてみた。模試は偏差値50前後、過去問をは40点前後しか取れなかった。

ここまで、自分なりにうまくやって来れてたと思っていたのに……、とショックを受けていた記憶がある。

 

そこで、塾は辞めて予備校に通うことにした。その予備校は教師が教室で直接授業をするのではなく、有名講師の授業を録画したものを観るというシステムだった。

これが、私の性に合っていたと思う。必ず指定の時間に授業を受けるのではなく、録画を自分のやりたいときにやりたいペースでやれるのがよかった。仕組みが個人に向いているのだ。

火曜日は午前中で授業が終わるのでそこから予備校に行って授業を視聴していた。休日も通って視聴していた。その他の普通の下校のあとで授業を視聴することは無かった。

 

3年生のときは、平日は5時間、休日はそれ以上勉強していた記憶がある。冬休み以降はさらに時間が増えた。

1月からは、「もう単位取得要件満たしたし学校に行かんでもええや〜」と思って学校を全部休むことにした。卒業式まで行かなかった。

1月から学校に行きませんというのは、一応親が先生に電話を入れてくれていた。そのときに、「そういう人もいるんですよ〜」と言われたらしくて、私以外にもいるんだ……そういう人……という気持ちになったのを覚えている。

 

私の五教科七科目の内容としては、英語、国語、数学、化学、生物、現代社会だった。

世界史や物理も初めは勉強して触れたこともあったけど、世界史はセンター試験のみで使うにしては覚えることが多い、物理は数学が苦手だったのでできなかった、ということで最終的にこの科目に収れんしていった。

数学は苦手だったのでⅢCはやれないと踏んでいたのでⅠAとⅡBを黄チャートで学んでいた。

 

大学選びは、大学一覧本でやりたいことがやれそうで、私の模試の偏差値でも受かりそうな大学を選んだ。ちょっと背伸びしたので模試ではいつもB判定だったけど、センター試験後の判定ではA判定だった。

 

学部を選ぶ基準としては、二次試験で数学が課されない学部を選んだ。赤本で数学の問題を見たとき、難しいというより、そもそも設問の内容が理解できなく、頭にクソデカいはてな???が浮かんだからである。最終的に、二次試験で英語と化学と生物が課される学部を選んだ。

ここで、あっさりと数学を捨てておいて良かったと思う。もし、二次試験で数学もやってたら合格はかなり難しいものであったと思うからだ。

 

苦手なものはバッサリ切って妥協点を探す。これをやっていく方針で正しかったと今としては思う。実際、行きたい大学の行きたい学部に合格できたし。

 

予備校は代ゼミだったのだが、富田先生の英語と、亀田先生の化学がとても良かった。

富田先生の英語は今でも英文を読むときに役に立ってるし、亀田先生は夏休みまで公式を丸暗記して計算するという化学に対する姿勢に喝を入れて、単位を考えて計算を行い答えを導き出す方法を教えてくれた。

 

この、単位を考えて計算を行う方法は、大学の学部でとても授業スタイルが好きだった先生もかなり強調して教えてくれたし、とても大事だと思う。大事なので皆さんもやりましょう。

 

あと、一つ言っておきたいのだが、化学や生物では電卓で計算ができない(今はどうなんだろう?)ここで、小学生のとき小数点の割り算の勉強をしてこなかったことが響いてくる。

解法が分かっていて正しかったとしても、手で計算すると数値が間違ってしまうのだ。

これはかなり苦戦したし、二次試験で煩わしい計算が出てきたときは適当に答えを書いて問題を捨てた。皆さんはそうならないようにちゃんと算数をやっておいた方がいいです。

 

と、このような感じで勉強を行って、センター試験の過去問でも数学以外では8割後半をコンスタントに取れるようになっていった。

実際のセンター試験では、数学は5割、他は8割後半〜9割で、全体としては8割ちょいであった。数学で足りない分を他の教科で埋め合わせした形である。

 

センター試験には怪物がひそんでいる。いくつかの部屋に分けられて試験をやるわけだが、私の隣の席の人は試験中ずっと貧乏ゆすりをしまくってたし、化学のときは椅子を飛び跳ねていたりした。

ここで、私も対抗して貧乏ゆすりをしてお互いに貧乏ゆすりバトルをしながら試験は進んでいった。

ここで、びっくりはしたがあまり動じなかったのは、これまでの模試で貧乏ゆすりやペン回しなどに何度か遭遇していたからだと思う。耐性ができていた。

耐性ができていたから耐えられたが、耐性ができてなかったら耐えられなかったと思う。

学力を測る以外にも、模試は本番のような臨場感を与えてくれるのだなあとしみじみ思うのであった。

 

センター試験のあとは国立大学の二次試験でと滑り止めのための私立大学の受験である。

滑り止めとしてはMARCHを選んだ。ある程度のレベルの国立大学を目指してたので、MARCHの勉強は、1〜2ヶ月前に赤本をやっていれば合格できた。わりとあっさり合格したのを覚えている。

 

その後は、ひたすら赤本、赤本、赤本……参考書、参考書、参考書……と毎日8〜10時間くらいはやっていた気がする。

これまでの総復習として、新しい参考書などを買ったりはせずに「あたりまえのことをあたりまえに」できるようにしていった。

 

国立大学二次試験は貧乏ゆすりしてる人もいなかった。緊張した空気の中で自分のできる力を出してやりきった感覚があった。

それまで学んだことを総動員して問題を焦らないように解いていった。そうやっていったら、どの科目でも解ききったあとの残り時間で見直しを何度もした。

 

で、合格発表を見に行ったら合格してた。他の合格者が胴上げされたり、私は地域の新聞に取材を受けるなど非日常てきな幸せムードがあった。新聞には後ほど私のインタビューが記載されていた。

 

こんな感じで小中高と駆け抜けていった。そのあとも紆余曲折はあったがナントカこうやってこの記事を書けている。

 

以上でこの記事は終わりです。記事を最後まで読んでくれた方々、ありがとうございます。

 

そんな感じです。